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美濃焼の聖地・岐阜県土岐市発祥! 「若手陶芸家集団ミノヤキセンパイ」は、なぜ生まれ、どこに向かうのか?
~“オモシロイ”から広がる若者の活用と地域おこしの実例~
平安時代につくられた「須恵器(すえき)」に端を発する日本の伝統工芸品、「美濃焼(みのやき)」。主な生産地である岐阜県土岐市には、美濃焼関連のメーカーや窯元が密集し、陶芸家を目指す若者も多く住んでいるのが特徴だ。
その土岐市でいま、注目を集めている若者たちがいる。若手陶芸家集団「ミノヤキセンパイ」だ。
プロデュースは面白企画創造集団トコナツ歩兵団。背景にあるのは、移住定住施策と地域産業のプロモーション、そして若手作家の育成である。
しかし、ミノヤキセンパイの構想、そして活動に至るまでの道程は、決して平坦ではなかった。では、ミノヤキセンパイはどのように誕生し、どのような活動を行っているのか。メンバーの一人である田中源さんと、土岐市の担当者である神戸祐介さんに話を伺った。
・「ミノヤキセンパイ」の誕生
田中:最初に僕が参加したのは、「勉強会」という名目の会合でした。しかし実際は、勉強会ではなく、「若手陶芸家集団」の参加者として選ばれていて(笑)。企画内容を聞いても、「ものづくりは集団で行うものではない」「陶芸家集団のアイドル化なんてカッコ悪い」などと思っていましたね。
ネーミングについても、200ぐらい皆で案を出して。最終的に僕らが出したものと渡部さんたちが出したもの2案が残って。そこで4人のメンバー(田中源、岡村宜治、竹下努、アサ佳)と何度も何度も話し合いを重ねた結果、最終的に自分たちで決断して、「ミノヤキセンパイ」となりました。
ただ、団体名が決まった後も、なかなか実感がわかなくて。PR用のチラシやポスターが完成し、そのビジュアルを見た瞬間、「僕たちは“ミノヤキセンパイ”になったんだ」と、ようやく実感できました。キャッチコピーは、「日本の真ん中、土岐の地で、青い僕らが器にこめた熱き思い、世界中に届けたい」、です。
神戸:プロジェクト始動後は、何度も会議を重ねました。その中で、当事者自らが主役となってPRを行う案が浮上。当初はイケメン陶芸家を集めてアイドル化するという内容でして、そこで土岐市で活躍する若手陶芸家に声をかけることにしたのです。
・スタート当初は不安も……
田中:ただ、スタート当初は不安しかありませんでした。「何をさせられるんだろう?」「1年後には捨てられるのではないか?」「周囲の人々から揶揄されるかもしれない……」などと、否定的な考えが頭をよぎる毎日で。(写真は初期のMTG風景。まだ硬さが感じられる)
しかし最近では、ミノヤキセンパイの一員として活動することによって、自分のものづくりに良い影響を及ぼすようになっていると感じています。今思えば、渡部さんのつくる雰囲気や流れに上手く乗せられていたのかもしれません(笑)
神戸:渡部さんたちはメンバーとじっくり向き合い、彼らの希望や想いを引き出す努力を惜しみませんでした。プロデューサーの考えを押し付けるのではなく、メンバー全員のバランスを保ちながら、セルフプロデュースするための目線や立ち振る舞い、作品のアイデアなど、彼らが自走できるようにサポートしてくれましたね。
土岐市への往訪回数も増加し、採算を度外視した状況となっても、我々の目指すゴールをまさに自分事として対応してくれました。岐阜県のイケメン観光案内人「G(ギフ)メン」や、ここテラスゲート土岐の「まちゆい」などをプロデュースした経歴をお持ちだったので、安心しておまかせすることができました。
・活動を通じて成長するメンバーたち
神戸:具体的な活動内容としては、名古屋での展示販売を皮切りに、全国のさまざまな展示会や販売会に参加しています。最近では、「岐阜クラフトフェア」や「岐阜県物産展㏌セントレア」、「第20回 下石どえらぁええ陶器祭り」などに出展しました。
また、『NHKのおはよう日本』や『東海ウォーカー』に取り上げられるなど、各種メディアでミノヤキセンパイの活動が報道されています。そのため、街を歩いているだけで声をかけられるほど認知度が向上しているようです。
市民の皆さまには、「観光大使」のような存在として認識していただいているようですね。また、心配していた地域内で活動する陶芸家からの非難もありませんでした。若者たちが主体的にがんばっているということで、認めていただいているのかもしれません。
メンバーは、展示会や販売会などの場数をこなすことで、お客さまとのコミュニケーションがどんどん上手になっています。また、全国のアーティストと関わることで、ミノヤキセンパイとしての活動に対する意見や、アーティスト個人としての考え方にもプラスの変化が生じています。
田中:以前の僕は、頭の中で発想を組み立てたり、整理して考えたりしている時間が多かったのです。そのせいで、発想が止まってしまっていた。自分の中にある「キレイなものを作ること」へのこだわりに固執していたのです。
ただ、販売会などでアーティストの方やお客さんとふれあうことで、考えが変わってきました。現在では、異素材を組み合わせた面白い作品づくりに挑戦しています。これからも積極的にアウトプットしていきたいですね。
・さらなる飛躍を目指して
神戸:今後の課題は、「収益性」です。露出を増やしたことで知名度は向上していますが、ビジネスとしてはまだまだ受け身の状態です。より販路を拡大し、営業につなげていかなければ、販売量が増えることも収益性が高まることもないでしょう。
まずは、ミノヤキセンパイのメンバー一人ひとりが当事者意識をもつこと。そして、積極的な販売活動を行うこと。その結果、収益性を高めていければと考えています。
これからは、私たち土岐市の人間とミノヤキセンパイのメンバーがお互いに成長し、高め合っていかなければなりません。僕自身、彼らの良き理解者であり続けたいと思っています。
田中:今年の春からこれまで男4人だったメンバーに、女性(中村寿美)が1人加わったことで、これからは5人のチームとして、どんどん新しいチャレンジをしていきたいと考えています。
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かつてより行われてきた伝統工芸は、後継者の不在や担い手の減少によって、その存在すら危ぶまれている。後世に残すべき技術も作品も、このままでは、じきに消えてしまう可能性があるのだ。
そんななか土岐市では、ものづくりを目指す若者が夢を実現できる土壌づくりに力を入れている。若者の作品をプロデュースし、PRや販売支援を行うことで、若手陶芸家の認知度を高めつつ、土岐市のブランディングにも役立てているのだ。
ミノヤキセンパイのメンバー一人ひとりにも、新たなチャレンジ精神が生まれつつある。また、彼らを取り巻く人々も、主体性をもってサポートできる環境が整った。これからの土岐市およびミノヤキセンパイの活動に注目したい。
<インタビュイー>
・神戸 祐介
土岐市役所 経済環境部 産業振興課職員
・田中 源
http://minoyaki-senpai.jp/members/12/
ミノヤキセンパイ メンバー
テラスゲート土岐 ギャラリーとき、アトリエとき 店長
磁器の白い素材にカキオトシ手法で装飾した、静で冷たく、うっすらと美しい器を中心に制作。水棲みのカエルと暮らし、ピアノ、幻想文学、クラシックカメラ、初音ミク、綺麗なもの集めを愛す。
<インタビュアー 五十嵐 真由子>
(※参考)
https://tokonatsu.net/works/436/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E7%84%BC