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Interview2 中島盛夫さん
日本に2人しかいないと言われる銭湯絵師の1人、中島盛夫さん。銭湯の壁という巨大なフィールドに、わずか数時間で富士山を描きあげるその技は、長いこと日本人の心を癒してくれてきました。今なお精力的に活動し、なおかつ様々なフィールドに飛び出している中島さん。団長・渡部もかつて三鷹美術館でその技に出会い、魅せられた1人です。約5年振りに再会し、色々と話を伺っていきます。
中島盛夫氏 公式WEBサイトhttp://www.morionakajima.com/
『絵を描くのが好きだから。それ以外ないね』
-中島さん1945年生まれとお伺いしているのですけども、今66才ですよね。
「うん。今年67になる」
-67!67になっても、今なお現役で描かれています。描かれている理由って僕は楽しいからなのかなと勝手に思っているんですけど。
「絵を描くのが好きだから。それ以外ないね」
-先日トコナツのメンバーが第三玉乃湯(神楽坂)さんでのお仕事を拝見させて頂きました。彼らは初めて中島さんの作業を拝見させて頂いたのですが、「この作業を僕らだけで見るのは勿体ない、すごいパフォーマンスだ」と言ってました。今お2人しかいないじゃないですか。そんな中島さんたちのお仕事をどういう形にアレンジしてというのも含めて、世の中に伝えていくのが使命というか責任だと思っていて。そんな中で最近お弟子さんがいらっしゃるというお話を聞きまして。それは中島さんにとってもすごい嬉しいお話ですよね。
「(弟子が)最初に来たのが、卒論を書くっていうんで、取材させてくれって言って、ずっと絵を描くのを見て歩いてたのね。それがきっかけで。それで大学院に行ったのね。大学院に行ったら時間が余ったから手伝わせてくれって言われて。大学院を卒業して一度勤めたんだよね。出版社かなんかに。ところが1年ぐらいで辞めちゃいまして。でまた、それからずっと来るようになって。来ててもそんなに仕事がないから、食べていけないんだよね、今現在。それでもやってる(笑)」
-最初にいらっしゃったのは?
「今27だから 最初に来たのは21か22ぐらいだったんじゃないかな。今は絵のある時だけ手伝いに来て、あとはバイトをやっている」
-後継者の方がいないとかそういう問題があるじゃないですか。今お弟子さんが付かれて、嬉しいんじゃないですか?
「そうね。なんせ僕も、もう1人の人、僕の兄弟子(丸山清人さん)なんだけど僕より10歳年上だからね。だからもう限られているのね。結構重労働だし。だから僕も兄弟子もいなくなると困っちゃうでしょ。後継者がいないとこの文化が絶えちゃうから、と思っているんだよね。彼女結構ね、その気になれば結構やれるんじゃないかな」
-女性の方なんですか?
「そうなの。ただ問題は車が運転できない(笑)。それ困るね。足場が組まなくちゃいけない(笑)だから誰か、車だけ足場だけ前の日に運んでおくとか。そんなのは考えれば考えられるんだけどね」
『富士の見えないところには行かない』
-以前お話を伺った時には、都内が主に仕事場だとか。
「都内っていうより関東だね」
-中島さんは旅行に行くことはありますか?
「旅行は好きで行きますね。やっぱ題材を探しに」
-それこそ富士山とかもよく行くんですか?
「もう富士がほとんどだね。富士の見えないところには行かないっていうか。そんな遠くには行かないです。だから」
-それじゃあそれこそ山梨側も静岡側も。
「もう360度ぐるっと。パッと見て、どこから見える富士か、すぐわかっちゃう」
-その時ってお写真撮るんですか?それとも胸に記憶に留めておく?
「前はねぇデッサンしてたんだけど、今はもう写真だね。あと、写真もそうだけれど、頭にいれる」
-もうどこから見てもすぐ分かる。
「分かる。で絵を描くのには自分の目で確かめないと距離感が分からないのね。写真だけじゃ。だから出来るだけ僕は自分の足で、見たところを描きたいっていうのはあるね」
-あの、僕も中島さんの絵を全部見させて頂いているわけじゃないので分からないのですが、銭湯のお写真って基本手前水で、とかいうのがあるじゃないですか。静岡側から見れば駿河湾越しに、山梨側から見れば河口湖越しにとか富士五湖越しにとかあるじゃないですか。例えば朝霧の方から見たりとか箱根の方から見たりとか、そういうのも描かれるのですか?
「もちろん描く。朝霧のところはね、描かないね。なぜかっていうと恰好が悪いのね。え、これ富士山という感じで止まっちゃって、見てはいるけど描かないのね」
『僕が一番好きなのが富士吉田からの頭だけが好きなのね』
-ちなみにどこからの富士山が一番綺麗ですか?
「僕が綺麗だと思うのはポイント色々あるけれど河口湖。僕が一番好きなのが富士吉田からの頭だけが好きなのね」
-富士山のトップの部分。
「一番好きなのが富士吉田。富士吉田と河口湖、それほど離れてないでしょ。河口湖のあれはキレイだね。稜線がキレイだね、女形というか」
-産屋ヶ崎のところとか綺麗っていうじゃないですか。
「場所がどこっていうのは分からないんだけど、河口湖だとどこでもいいね。どこでもいいのと、圧倒的にバッと思うのはあの、甲府の方からこう上がってきて、瞬間ブワッと見えて、河口湖の向こうに見えるっていう。あれは感動的ね」
-御坂峠を越えてきた所ですね。
「あ、御坂峠ですね。あれは感動的だよね。一瞬パッと見えるでしょ。いいねぇ、あそこ。それから西伊豆から見た富士。戸田とか、あの辺かな、駿河湾を挟んで。それから清水、三保の松原。そのぐらいかなあ。由比とかあの辺もキレイだね」
-そういう時って日帰りで行かれるんですか?それとも泊まりで行くんですか?
「日帰りが多いですね。旅行の時は泊まるけどね。戸田辺りに行くと泊まりますね」
『1万点描いてきて、半分は富士じゃないかなあ』
-今まで人生で、これまで富士山、どれぐらいの点数を描かれてきたのですか?把握されている範囲で。
「1万点描いてきて、半分は富士じゃないかなあ」
-1万点で、半分は富士!
「概略ね。それぐらい描いている」
-男湯に富士を描いたら女湯には描かないと聞いたのですが。
「富士は2つは描かない。基本的には描かないですね。たまに描いてくれとかごく稀にありますけど(笑)」
-片方富士山描いたらもう片方は何を描かれるんですか?
「あとは松島だったり、瀬戸内海だったりとか、あの~お風呂の絵っていうのはもう自分のイメージで描くからね、場所どこってこともないんですよ。だから富士山だけは本物で、手前は自分の世界。だから河口湖を描いていても河口湖と全く同じってことはないし、富士だけは河口湖から見た富士」
-松島だとか瀬戸内だとかもこれまで何度か行かれたのですか?
「もちろん。行って描いてくるんですけどね」
-ちなみに今まで行かれた中で中島さんが一番良かったところっていうのはどこですか?
「富士山を抜かせば、陸中海岸。陸中海岸の北山崎。皆津波でやられちゃったけど」
-僕は行ったことがないんですが、岩手県の仕事をした際によく断崖絶壁の写真をずっと見ていて、冬も夏もすごい景色が違って、いい所だなって思いました。
『お風呂の絵っていうのはもう自分のイメージで描くからね、場所どこっていこともないんですよ』
「ですね。最近石川県の観光大使(※珠洲市観光大使)になったので、見附島をよく描くんですが、あの島はいいね」
-見附島初めて行かれたのはいつですか?
「初めて行ったのは4年前」
-そんなに最近なんですか。
「で、見附島を知ったのが25年ぐらい前。でそれから面白い、島というより岩だよね、あれは。だなと思いながら描いてたんですよ。それで大使になって、珠洲市の大使になったんですよ。その任命式の時初めて行ったんですよ(笑)」
-僕は先週石川県にいて、能登が地元の人と話をしていたんですけど、中島さんのこと、ご存知でした。新聞にも掲載されているって!ちなみに大使になったきっかけというのは?
「お風呂屋さんにいっぱい描いていたんで。それを珠洲市の人が見附島を描いているというのをインターネットで知って、入りに来たんですよ。向こうの人たちが。で色んな描いている所を見て回って。それからの交流が大変すごいんですよ」
-初めて見た見附島の印象はどうでしたか?これまで散々描いてきているわけですけども。
「あのね、見附島を25年前に描いたのは、描いてくれって言われて頼まれて描いたのね。あの石川県の観光協会からポスターを作るんで、その絵を描いてくれと言われて見附島を描いたんです。でその時に描いたのが見附島と兼六園。それがポスターになって。で、あ、面白いなと思って、それからお風呂に描くようになったのね」
-僕も去年初めて仕事で見附島に行ったんですね。写真は観たことあったんですけど、行ったら・・・
「凄かったでしょ!」
-凄かった!唐突ですよね、なんか!
「周りに何もないのにあれだけぽこっとあって。でその時、僕は現場に行く前には、石がこうあるでしょ、写真なんかで見ると。で陸から島までの距離感が分からなかったの。ここからそこまでどれぐらいの距離って聞いてこんなもんかなって思って描いてたね。で松も描いてくれって言われて。でも松ないのね。で僕は松を描くから、ま、描いたのね。行ったら本当にイメージがピッタリだったんでビックリした。近さにはビックリしたね。写真では陸のところから撮っていないからね。これが先月行って来た時の写真」
-結構行かれているんですね。
「これが市長。向こうのメンバーとね。行ってきたんですよ」
-嬉しいですね、こういうの。
「市長さんが若いの(笑)」
『スーパー銭湯は確かに流行っているんだけど、銭湯でも流行っているところはあるのね』
-話、元に戻るんですけど、銭湯の数が全盛期に3000軒ぐらいあったのが今700軒ぐらいになってるじゃないですか。銭湯が持つ役割も変わってきたじゃないですか?お風呂がない時代から、社交場になって。この後って、スーパー銭湯とかはすごい賑わっていて、料金の問題とかそういう問題もあると思うんですけど、この後銭湯ってどういう風になっていくんだろうとか、どういう風にすれば良くなるんだろうって中島さんはどう思われますか?
「スーパー銭湯は確かに流行っているんだけど、銭湯でも流行っているところはあるのね。それは何かっていうとね、経営者は若い人で、やっぱり色々考えているね。お風呂やさんの後継者がいないからどんどんなくなっていくのね。それを魅力的にやれば結構商売になるんじゃないかな」
-ちなみに銭湯でも流行っているところってお名前は挙げられるものですか?
「第一番に『東上野 寿湯』が若くて頑張っているね。それからこの前も改築、リニューアルしたんだけど、文京区の『ふくの湯』。それから、どこだろう、結構ね、あるんですわ。江戸川区の『仁岸湯』なんかも若い人がやっていますね。それから『戸越銀座温泉』も流行ってますね」
-戸越銀座にある。あ、近いな。
「いいねぇ。一回行ってみて!温泉だから。温泉っていっても黒い湯ね。東京の」
-皆どこも経営者が若いというのが特徴なんですね。
「勿論どこも上にいて、若い人がいて、後継者がいるから作れるのね」
-なるほど。
「で、嬉しいことに、あの、なんだろ、設計する人いますよね、リニューアルかなんかの。その人が、今二つあるんだけど、わざわざ今までタイルだったところを絵に変えてくれたりね。あれは嬉しいね、そういうのは」
『去年google社、あの六本木ヒルズの34Fに描いてきた!』
-やっぱりいろんな仕事依頼されて色々なところに描くと思うんですけれど、僕も以前遊園地のレストランの壁画を依頼したわけですが、やっぱり銭湯に描くのが一番嬉しいもんなんですか?
「そりゃそうね。最近居酒屋さんとか流行っているよ(笑)」
-今までやられたお仕事の中で一番印象に残っているのってどこですか?1万点描かれていますが1つ1つって結構覚えていますか?
「いやあ覚えてない(笑)」
-覚えてないですか(笑)
「変わったところだと去年google社、あの六本木ヒルズの34Fに描いてきた!8mの、高さ3m」
-うわっ、それすごいですね!中島さんも凄いですし、グーグルもやっぱり目の付けどころが違いますね!
「でしょ。世界のgoogle社だから」
-それはちょっと面白かったですか?
「面白かった!それから後は何だ。毎年描くのは川崎フロンターレってあるでしょ。あそこの宣伝でお風呂やさんを使って、絵を描いてそこに選手の顔を入れたりするの。必ず来るんだよ。看板選手が来て、中村憲剛さんが来たりとか。そんなのがあるよ」
-中島さんはちなみにプライベートで銭湯は行かれるんですか?
「まあたまにね。うちの近くに銭湯があるから行くんだけど」
-そこの絵は描かれているんですか?
「もちろん。でも行きたくないのね。なぜか、これだけは不思議なんだけど、その日にうまく出来た、よく出来たって満足して帰って来るでしょ。でもまた風呂入りに行くとあそこちょっと直したいとか思っちゃうの。だから行きたくないんだよ」
-なるほどね~後で見ると・・・
「あそこちょっと直したいって思っちゃう。それは一生そうだろうけど」
『東上野 寿湯』
http://www7.plala.or.jp/iiyudana/
『ふくの湯』(旧名 富久の湯)
http://homepage3.nifty.com/yurakutyou/_private/each/tokunoyu/index.htm
『仁岸湯』(にぎしゆ)
http://www.1010.or.jp/cgi/dsearch.cgi?sel=2&tno=23010
『戸越銀座温泉』
『すごく僕も、心に残ったんだけど、明るいのね、子供達』
-あの、これで最後になるんですけど、福島の出身で、NHK『課外授業ようこそ先輩』で取り上げられたりとかしてますが、僕は観ていないんですね、残念ながら。それを観た人の記事を読ませてもらったんですけど。故郷で、子供たちはもうそこに住むことが出来ない。中島さんは飯舘村から相馬に移られて。
「飯舘村で生まれたのね。で、僕の生まれたところはダムが出来て、湖底に沈んじゃって。今の実家は相馬市にあるの。で相馬市も壊滅的な津波を受けまして、幸いにうちはちょっと高台にあって津波には呑まれなかったの。でも従兄弟とかは亡くなった。それから甥が、長男が色々な商売をしていて、海のそばでオートキャンプをやっていたの。日帰りのお風呂があって、帰れるような。そこも全部のまれたの。僕がそこに行って絵をいっぱい描いて、お風呂にあったんですが、それも全部呑まれちゃいました」
-うーん。あの、僕の友人が南相馬にいて、その昔、彼に連れて行ってキャンプ場は多分そこだと思います。
「あーそうか。そばにあれがありました?火力発電」
-その火力発電所に彼は勤めていて。
「じゃあそこだ。それをうちの甥っ子がやっていて」
-当時僕は27、28ぐらいで、そこに中島さんの絵があるかどうかっていうのは覚えてなくて。
「いや、それはね、絵はね、つい最近でしたから、3年か4年前だったから」
-もうすぐそこが松があって、海があってっていうキャンプ場だったんで、あとからそこも全部のまれたって話を聞いて。
「そこがうちの甥っ子がやっていたんです」
-今、僕らが、僕らも東京にいて、福島や東北でそういうことがあって、僕らに出来ることとか、中島さん自身がこれからやっていかなきゃいけないものって、そういう思いってどういうものがあるんですか?これちょっと、うまく言えないんですけど。
『早く元に戻ってもらいたいということを訴える以外にない』
「いやあのこの前NHKの番組でその、子供たちに絵を教えてきて。すごく僕も、心に残ったんだけど、明るいのね、子供達。頑張ってる。ただなんかの話の時に出てくるのが原発の話。放射能で、で避難しなくちゃいけない。地震はしょうがないよね。で放射能の話、ですよ。早く帰れるようになりゃいいけど。だから僕のすることは、今話題になっている飯館村で、30km外の所でなぜこんなに放射能が多いのか。で飯舘生まれだってことで、宣伝じゃないけど、早く元に戻ってもらいたいということを訴える以外にないのよね。で、今月の3月11日の日曜日に日比谷公園で僕と兄弟子が一緒に絵を描く、見せる催しがあるんです。そこで僕は飯舘村だから、当然マスコミが来るでしょうし、そういった時にそう訴えていきたいなと思ってる」
-今度の日曜日!
「うん。1時半からだったかな。なんせ僕と2人しかいなくて、その2人が描くんだから滅多にないことなんです。そういうことで訴えていくしかないんです。Tシャツを作っているのよ。あれがもっと売れて、それを義援金にしたいんだけど、それがならないの。あの、今何枚かは売れているんだけど、原盤作ったり、原画を描いてデザイナーに見てもらったりして、ようやくこれから売れるのが利益になるっていうところなのね。だからどんどん売れてもらって」
-そっちにリンクとか飛ばしてしまっても大丈夫ですか?
「そうしてくれると僕は嬉しいんだけどね」
-分かりました。お時間がそろそろなので。
「あと何かない?」
-えっとですね、僕は以前京都にいたことがあって。金閣寺のちかくに船岡温泉っていう銭湯があるじゃないですか。あそこの近くに2週間ぐらいいて、毎日通っていたんですね。で、いつも賑わっていて、地元の方で。
「でしょ!」
-もちろん建物もいいんですけど、「兄ちゃんどこから来たの?」とか言われて、すごい温かいんですよ。で、僕はその後京都に来た友達皆に一度あそこ行ってごらんって必ず言ってて。若い子たちに、若い子たちが月に一度とかでもいいから、あそこの銭湯面白いから一度行ってごらんっていう所をさっき中島さんに聞けたんで今日は良かったですね。
「あとね、『ふくの湯』の隣にね、これは僕のオススメなのがあるの。『鶴の湯』。鳥の鶴ね。『鶴の湯』にこの前描いてきた絵がね、普通こう入ったところ、湯船の後ろにあるでしょ。そこはそうじゃなくて湯船に入った向こう側」
-正面の上?
「入って来たところの上。高さ8m。富士山のそれこそ、先ほど言った富士吉田の富士の頭だけ」
-入ってくるところあるじゃないですか、ここのこの部分ですよね。
「これに描いちゃっていい?」
-もちろんです。
「ここに入ってくると、こうなっているのね。こうなって、ここが入口のドア。で、ここに大黒柱が真ん中にあって、ここに、それこそこういう、グワーって、ここまで。これだけの。で、ここに雲があって、松があって、こういう感じ。ここがもう上こうなっているでしょ、吹き抜けて。これ行ってみてくださいよ!『ふくの湯』のすぐ側。ここが女将さんが僕と同じ中島っていうの。ただ裏の絵が僕の絵じゃないの。前描いた人が早川さん(故・早川利光さん)の絵なのね。ボロボロで今年書き直さなきゃいけないんだけどね。これはすごい圧巻!」
-ちなみに今2人いらっしゃって、中島さんの兄弟子の丸山清人さんと中島さんとでエリアが被っちゃったりすることはないんですか?
「まあそういうことはたまにあるけどね。今はもうお風呂屋さんから描いてくれと言われればどこでもいいから描きに行く。お互いあまり気にしないから」
-お二人で飲みに行く機会とかあるんですか?
「旅行に行くから」
–そっか。兄弟子さんだから、2人で旅行に行くのか!
「2人っていうか、何人かで行くんです。4、5人でね。あるんです」
-それはやっぱり富士山を見に行ったりとか。
「大概、僕が運転していくから。富士が見えるところーとか言われて(苦笑)」
-いつまで経っても永遠に兄弟子さんですもんね(笑)
「うん」
-師匠というか。
「兄弟子というより、師匠と同じよ。僕はその兄弟子の助手をやっていたから。その上に師匠っていう人がいたの。やっぱり丸山(故・丸山喜久男さん)っていうんだけど」
『こんな大きいの描いてみたいって思ったの』
-初めて上京された時に、銭湯でその絵を見て衝撃を受けたという話を聞きましたが。
「そうそうそう。それだけは本当にそうだったね。墨田区のお風呂屋さんで。町工場で働いていて、汚れた格好で連れて行かれたのが初めて見た絵が、なにこれって思いましたもん。こんな大きいの描いてみたいって思ったの、まず。で、たまたまお風呂屋さんが休みだった次の日に行ったら絵がガラッと変わっていて、その時初めてお風呂屋さんに聞いたのね」
-絵が変わっていると。
「この絵何人で描いたんですか、こんなに大きな絵を、って言ったら一人っていうからまたビックリ!そのお風呂屋さんでね、僕が初めて銭湯に行ったお風呂屋さん。その後僕が描くようになって、残念ながら廃業しちゃったんだけど、あれは嬉しい話でしたよ。あれはねぇ、本当に」
『できたら、無理かもしれないけどね、石巻 で、頑張ろう石巻だか看板を描いた人がいるのね。瓦礫の所に。あそこの隣に絵を描きたい』
-あの、今日お話を聞いて、今年のどこかで、全国のどこになるか分からないですけど、僕がプロデュースするどこかで、中島さんに絵をお願いしたいと思っていて。
「できたら、無理かもしれないけど、石巻で、頑張ろう石巻だか看板を描いた人がいるのね。瓦礫の所に。あそこの隣に絵を描きたい」
-僕の友人が南相馬に住んでいて、この後、地域をどうやって復興させるかという活動をしていて。僕らが何か手伝いをできるんじゃないかと思っていて。
「それは南相馬に行きたいよ。姉が住んでいるのよ。で、僕の高校は南相馬市の高校に行ったから。思い出がいっぱい。県立原町高校。僕が行っていた頃から場所はちょっと変わったけれど」
-えっと、僕はまだ確約できるあれにはないんですけど、どこかで、中島さんとかそういう方々と組んで、人がワクワクしたり、笑顔になれるようなことをやりたいので、それまで僕も頑張るので、是非。
「地元はいいよね。相馬にしても姉の辺りは地盤沈下しちゃって。この前、たまたまNHKの番組で地元に行ったんだけど、海の方まで行く時間がなかったの。実家にだってほんの30分しかいれなかったんだよ」
『これだけは誰も描けないからね。この大きさを、短時間では』
-僕はもう、あの絵を描いているのを一人でも多くの人に見てもらいたいなと思っているんですね。
「いや、これだけは誰も描けないからね。この大きさを、短時間では。今この大きさのを描いているんだよね」
-あの家のお風呂で見るっていうやつですよね。
「これを一人の人が10枚も頼まれて。これは富士だけ本物、あとはこういう場所があったらいいなっていう自分の世界ですよ。面白いでしょ!」
-面白いです。僕、家を建てた時に中島さんに描いてもらおうと思っていたんですけど、普通のユニットバスになってしまいました。次回は必ず中島さんに描いてもらえるようなお風呂を作ります。今日は本当にお時間大幅に押してしまい、有り難うございました!今後のご活躍を期待すると共に、今年是非ご一緒にお仕事させてください!どうも有り難うございました!
「また何かあったら連絡ください!そうそう。この前、室井滋さんと対談してね、それが今出ているんじゃないかな。婦人公論の3月号」
-室井さんは富山ですよね。
「去年富山の絵を描きましたんで。立山連峰。富山のなんとかっていう電車を描いて。あれはスポンサー付いたのね。富山市と北国新聞、それがスポンサーになって」
-富山もよく行くんです。
「岐阜の高山にも僕の絵があるんだよ。この前行ってきたんだよ、久々に。つい最近京都にも行って絵を描いてきたんだよ。TVの取材。大阪に一軒、京都に一軒、高山に一軒、そんな感じ。あ、『鷹の湯』さん。この前ツアーだったんでね、朝早かったんで、中まで入れなかったんです。でも富士山が最高よ!富士山の見えるところが最高よ!」
-僕は仕事で山梨に行く機会が多かったんですね。ただずーっとあそこにいると、富士山嫌になっちゃう人が多くて。
「向こうが見えないから嫌だとか?」
-そう!そうなんです。生まれた時からあそこにいる人にとっては自然なんですけど、気にならないというか、後から入ってきた人だと「いっつもなんか壁がある気がする」とか。
「あーそんなもんかもしれないねえ。あれだけ大きいと」
-でも僕はしばらくあの場所から離れて、たまに行ったりするとやっぱり見ちゃいますもんね。
「見る見る。富士は最高よ!」
『鷹の湯』
http://www.gifucomi.net/shop/shop.shtml?s=1043
(聞き手: 渡部祐介)
中島盛夫(なかじまもりお)
日本で2人しかいない銭湯絵師。ローラーを駆使し、下書きもなしに僅か数時間で巨大なペンキ絵を描くその職人芸は隠れたニッポンの宝であり、素晴らしいパフォーマンスでもある。活躍の場は銭湯のみならず、映画のセット、Google社の壁画などにも及ぶ。
中島盛夫氏 公式HP http://www.morionakajima.com/